【むぎみそは、九州ならではのみそ】
九州は麦みその人気が高く、喜代屋でもベストセラーのみそです。
昔ながらの麦みそは懐かしくほっと幼い子供のころを思い出します。
毎朝トントンと聞こえる音とあったかいみそ汁の匂いが日本の朝ごはんの定番でした。
島原の麦みそは、こうじ歩合が25~30と麹の量が大変多くてその為に
甘くてこうじの香りがする味噌となっています。
島原では「いりこ」でだしを取ります。ホッとする味噌が出来上がります。
【九州の味…長崎の味】
喜代屋のみそは麦みそと合わせみそ米みそがあります。
麦みそは伝統を大切にしながら作り続けた田舎麦みそ。
合わせみそは三代目が作ったどの世代にも合うようなみそを作りました。
九州地方の合わせみそは、麦みそと米みそとを合わせたものを言います。
その割合も麦7米3の合わせみそが主流ですが喜代屋の合わせみそは米の割合を多くし
より風味豊かな甘みのある優しく美味しい合わせにしています。
喜代屋は長崎県南島原市の雲仙の麓にある
もうすぐ百年を迎える味噌・醤油・島原納豆みその醸造元です。
喜代屋がある島原半島は昔より麦や大豆の産地でした。
雲仙岳より流れる豊富な名水に恵まれ、その為、味噌・醤油などの醸造所が多くありました。
現在も多くの味噌・醤油屋さんや醸造元が残っています。
弊社は大正七年、初代喜代蔵が味噌・醤油の販売を始めたことに始まります。
機材や道具も満足にない時代で麹を寝かせる時などは一晩中寝ず麹室の
火が消えないように番をしたり、麹の手入れをしていたそうです。
又、朝は陽が明ける前に、大八車に醤油の木樽や味噌を山積みにし
それを馬に引かせて夜遅くまで売りに歩き、帰りにはちょうちんに
火をともして帰ってきていたということです。大変苦労した時代だったようです。
二代目喜久士は、第二次世界大戦の時に十代で激戦地ビルマへ行き奇跡的に命を落とすことなく
故郷へ帰ってきて家業を継ぎました。
このとき、喜久士は平和のすばらしさや生きていることのありがたさに感謝して
おいしい味噌や醤油を作ってお客様に恩返しをしようと心に決めたそうです。
そして、三代目となり、先代の精神を引き継ぎ時代にあった製品づくりを
心掛け無理をせずに少量でこだわったより良い製品を作り
お客様に喜んでもらおうと思っております。
この熱意が少しでもお客様に伝わり皆様に喜んで頂けたら
とても幸せだと思います。
そんな時代を超えて・・・
喜代屋は元気の源でありたい・・・
これからも真心込めて健康的で美味しい笑顔あふれる商品を作り続けていきたいと思っています。